子供の街
-2-




「きゃああああああああああああっ!!!!」
 春花は絶叫マシンに乗ったときよりも叫んでいた。その声も、一瞬で後ろへ飛んでゆく。
 突風が吹きつけて、向きが逆さまになった。
 朝食を残して良かった…
今になって思う春花。
 唐突に、体がふわっと浮いた。全身に吹き付けていた風も消え、目を開けると、青い空と緑と家のような物が一瞬だけ見えたが、間もなくどさっと着地した。それが上手く決まらなかったのは、いうまでも無い。
 「きゃっ!!」
 「わっ!!」
二人の悲鳴が重なる。
 「いたたたた・・・」
 腰をさすりながら老人よろしく立ち上がると、傍らから苦痛の呻き声が聞こえてきた。
 「って〜ぇ・・」
 春花はばっと振り返って声の主を探す。その様子が楽しかったのか、すこし笑を含んだ声が返ってくる。
 「ここだよ、こ・こ。お前の下。」
 春花が下を見ると、14歳くらいの茶髪に金の瞳の少年がいた。
 「あ…、ごめん…なさい…」
少年はすっと立ち上がり、土を払う。
「んで?あんた、名前は?」
 「え?」
 「だから名前だよ、な・ま・え。無いのか?」
 「…鈴木春花。」
 春花は、ここがどこか、とか、ここはいったい何なのか、とか、聞きたいことがたくさんあるのを押さえて答える。
 「あ?スズキ?ハルカだな。俺は、タクヤだ。」
 その答えを聞いて、春花は不思議に思う。

 名字を知らない…?

 でも今はそんなことを気にしている余裕は無い。とにかく、現状把握よ、現状把握。
 「ねえ、ここはどこなの?てゆうか、何で私はここに来ちゃったわけ?」
 早速聞き始めた春花に、タクヤがめんどくさそうに答える。
 「ここ?ここは、"子供の街"…通称チャイルドタウン。家出したやつが、来るとこだ。」

 チャイルドタウン?何それ…どこの遊園地よ…

 春花が必死で都内のテーマパークを思い出していると、タクヤが、遠くの黒髪の少女に向かって叫んだ。
 「お〜いっ!ミク!」
 声に反応して、その子がこっちを振り向き、走ってきた。
 タクヤも春花より少し大きいのだが、その少女・ミクはタクヤよりも大きかった。黒髪はひじまであり、フェイスラインの髪を編んでいる。目も黒で、肌が雪のように白かった。
 「こいつ、ミク。ミク、ハルカだって。」
 「よろしく!ハルカちゃん」
 にっこりと笑って言う。ぱっと花が咲いたような華やかさと愛想のよさそうな笑顔が、友達付き合いのほとんど無い春花には羨ましかった。
 「…よろしく。」
 春花も答えたが、ミクとは対照的だった。
 そんな春花の気持ちをよそに、ミクがさっと春花の手を取る。驚いて振り払ってしまった春花は、目の前で相変わらず笑顔を絶やさないミクに苛立ちを覚える。

 ――――――なんで笑ってるのよ。可笑しいでしょ!

 ミクが再び春花の手を取り、何かを押し付けた。ひやりとしたものが一瞬熱くなり、また冷たくなった。それをはずすと、春花は無意識に両手を後ろに回していた。それを見たミクが、微かに目元を険しくした。
 不思議そうにしている春花の目がミクの瞳に合うと、ミクはほんのり笑って説明をする。
 「これは適性診断。掌に含まれるDNAと血液中の物質Fh・B・ohをこの機械が分析して、その人に適したクラスを選出するの」
 「クラス…?」
 疑問が口をついて出てしまい、内心で酷く毒づく。見栄を張っている場合ではないのだが、全てを知っているような彼女が無性に腹立たしい。

 ――――こんなこと…。こんなこと、なんで考えてしまうんだろう…

 「そう。いくら家出してるといっても、学校くらいは行かなきゃねー♪」
 「…そう」
 相変わらず笑顔を絶やさないミクに、硬い声で返す。こんな声しか出せない自分が、恨めしかった。
 「よっし、今日はハルカはミクんち泊まれ。」
 タクヤがずけずけと会話に―――といってもほとんど一方的だったが―――入ってくる。
 「じゃあ、行こう!あ、そうだ、はいこれ地図。」
 春花は地図を受け取った。白い紙に書いてある。
 そして歩いていくミクについていった。


 「明日、学校があるけど、ハルカちゃんはここの学校。ちなみにうちはここで、ハルカちゃんちはここ。」
 地図に丸く印をつける。
 コンクリートの歩道を歩きながら思った。

 ここって、現実とあんま変わんないな。家とか学校とか。

 向こうにいた頃、必死で覚えた社会科の地図記号も同じ。
 確かに今一人で歩いていれば、きっと家の近くの知らないところだと思ったに違いない。
 「ねえ、ミクちゃん」
 努めて明るく聞こえる声で聞いてみた。こんなところでも見栄を張ってしまうのが悲しかった。
 「ミクでいいよぉー」
 語尾の間延びした答えが返ってきた。自分には決してこんな声は出せない。
 「ミクって、いつからここにいるの?」
 出来るだけネガティブにならないようにしつつ、親睦を深める一環として相手の出自を聞いてみたりして。
 「えっとねー。三年前くらいかなー。」
 相変わらず笑顔で答える。出来る限りとげとげしくならないように会話を続ける。
 「お父さんとか、どんな人だった?」
 時々、過去のことを聞かれるとトラウマがあって、そのまま会話が凍りついてしまうような状況になることがある。が、春花は、さっきの質問が平気ならいいと思った。

 しかし間違いだったようだ。

 足が止まった。ふとミクの顔を覗くと、あれほどまでに輝いていた瞳が光を失っている。

 まずいっ―――

 「あの――――」

 「覚えてないの」

 慌てて話題を逸らそうとしたが、あえてミクは自分の傷を抉った。

 「…え!?」

 春花は、予想範囲に入っていなかった答えに唖然とする。
 再びミクのほうに目をやると、そこにはぱっと花が咲いたような笑顔があった。急に、その華やいだ笑顔が怖ろしくなった。
 「みんな、ここに来て一週間たつと忘れちゃうんだよねー。」
 「……!」
 とても信じられなかった。強制的に、親のことだけ忘れさせるなんて出来るのだろうか。いや、理論なんてどうでもいい。記憶を失う。それは今の春花にとって重大な問題だった。だって――――

自分も例外ではないだろうから

喧嘩して家を飛び出してきたが、あのまま家に帰らず一人で暮らそうなどとは微塵も考えていなかった。あの缶を手にしなければ、きっと今頃は母親が探しに来て、お父さんには私からもいっておくから、なんていいながら一緒に帰っているところだろう。

 それなのに。

 自分は今こんな得体の知れないところにいて、同じく家出した少女と話しながら彼女の家へむかっている――――――

 「あのね」
 ミクはまた歩き出した。春花も、考えつつ歩調をあわせる。
 「ここに来た家出少年あるいは少女たちは、六日間の滞在を義務付けられているの。強制ね。そして、選ぶ。ここに残るか――――家に帰るか。みんなはこれを選択の儀って呼んでるの。」
 誰がつけたのかは知らないけどね。彼女はそういって屈託なく笑う。そして話はまだ続く。
 「どっちを選んでどうってこともないけどね、大体みんなここに残る方を選ぶわ。だって、もとから嫌になって出た家でしょ?今更記憶が消えたって、むしろその方が嬉しいくらいだもん。そのおかげといったらなんだけど、ここではみんな幸せに暮らしてる。遊んで、学んで、喧嘩して、恋をして。大人たちのいた社会での、煩わしい拘束や、家庭内暴力なんてもちろんないわ。みんな自由で、でも学校なんかもあって、リーダーとなる人たちがいて―――決して一人で何でも決めたりしない――――働けばお金がもらえるし、お小遣いだって成績や、功績によって決まる―――誰でも必ずもらえるけど。犯罪なんてない。とても平和で、美しくて、夢のようなところよ。ここは。」

 一転の曇りもない笑顔で、彼女は自分の記憶を消したことを肯定した。そのことが春花には、とても恐ろしかった。

こんな風に笑えるなんて、私と同じ生き物なんかじゃない――――!

 私は、なんてところにいるんだろう・・・。

 春花は、ここにきてしまったことを後悔していた。まあ、半分くらいは勝手に、だが、家出しなければ良かったことだ。父との口論を思い出す。今ではそれも懐かしく思えた。

 あ〜あ…こんなことになるなんて…









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