子供の街
-1-




 ザァァァァァァァァァァァァァ…
 春花はアンティーク調のピンクのハート型の缶ケースに、まるで自分が煙になったかのように吸い込まれていった。
 何かの圧力で目が開かず、なにがなんだか分からないまま、仕方なく流れに身を任せる。
 春花は思った。

 なんであんなに怪しいものを開けてしまったんだろう…

 そして父の言葉を思い出す。『得体の知れないものには触るなよ』…まぁ、この中にはきっと、毒があるから、とか、誰が捨てていったか知れないから、とか、そんな意味が込められていたのだろうが、とりあえず守っておけば、こうなることも防げたのだ。

 はーあ…

 こう思っているうちにも、春花はどんどん流されていった。
 



 チチチチチチ…
   小鳥のさえずりが、朝が来たことを知らせる。
 春花は開かない目を無理矢理開けて、ベットの上に起き上がった。
 肩にかかるほどの黒髪と、透き通るような茶色の瞳。
 春花は目をこすりながらベットの脇の窓のカーテンをシャッ、と開く。
 とたんに、まばゆい白い光が部屋いっぱいに広がった。春花は反射的に目をぎゅっと閉じる。
 外は、昨日まで雨が降っていたとは思えないくらい明るい。雨のしずくが葉の上に溜まって、きらきらと宝石のように光っていた。
 今日は日曜日だ。でも春花は今年六年生で、受験も来年に迫っている。勉強のため、塾へ行かなければならなかった。
 友達と遊ぶ暇も無いが、春花にとってはどうでも良かったし、親の期待を裏切るよりよっぽどましだった。
 が、最近はちょっと考え方が変わってきた。今までは、数人でつるむクラスメイトなんて、ばかばかしいとばかりに冷ややかに見ていたが、ここ2、3週間はちょっとうらやましいと思うようになった。まあ、いまさら仕方が無いし、あきらめてもいた。
 階段をゆっくりと下り、居間の机に用意されている朝食を食べる。春花は3人家族で、優しい母と、厳しい父がいる。
 特に体調も悪くないのだが、なぜかお腹が減らず、少ししか食べられなかった。
 「もう食べないの?」
 母が聞く。優しそうな顔に、少し心配そうな表情が浮かんだ。
 「うん、いらないー。じゃ、もう行くね。」
 そしてバックを持って塾に行こうとすると、父が呼び止めた。
 「春花、今日からは弁当を持っていきなさい。」
 机の隅に置かれた赤いチェックの包みを視線で示した。
 「…え?」
 「土日は朝七時から、夜九時になった。夜の分は、これで買いなさい。」
 千円札を差し出して、父が言う。受け取らない春花を見て、付け加えた。
 「早く行きなさい。…ああ、そうだ。今月からの春花の小遣いは食費に当てることにした。今は大事な時期だからな、余分なものを買う必要も無いし、外出などもってのほかだ。お前は勉強に集中していればいい、春花。」
 父は新聞を読みながら、起伏の無い声で言った。
 その見事なまでに感情の無い声が、春花の心に火をつける。それはあっという間に春花の怒りに触れて、爆発させた。
 バンッ。机を両手で打つ音が響いた。
 「ふざけないで。なんでそこまでされなきゃいけないの?私立を受けるのは別に構わないけど、知らない間に塾の時間増やしたり・・・お小遣い無しとか言ってさぁ。―――なんなの?なんでそんなこと従わなきゃいけないわけ!?・・・ちょっと考え直せば。あたしそれまで塾行かない!」
 春花はドアを、地面がゆれるほど思いっきり閉め、生暖かい外の空気を吸って走った。足の速い春花に、父や母が追いつけるはずが無かった。
 「…やっぱり…こうなるって、言ったでしょう?」
 春花の母が心配そうに、ドアを見つめる。
 春花の父は眉を顰めただけで、何も言わなかった。眼鏡が反射して、表情を隠した。
 春花が息切れして立ち止まると、ドーム型の屋根がついた建物が三つ組み合わさってできたような、不思議な、淡い水色の家が目の前にたたずんでいた。高層ビルやマンションの中でそれだけが低く、影と、なんともいえないオーラに包まれている。

 こんなのあったっけ…

 ケータイのカメラで、2、3枚写真を撮る。証拠写真だ。
 「・・・あれ?」
 と、無意識のうちに家に近づいていた。
 「え?」
 さらに近づき、門をくぐろうとしているのに気づき、慌てて柱をつかむ。
 「え?、え?」
 それでも吸い寄せられるように家に足が引っ張られる。
 「う、わぉ!」
 懸命に柱をつかんだが、とうとうドアを開けて中に入ってしまった。
 中は、とりあえず誰もいない。

 ちょっと、やばいかも…気づかれないうちに早く出ちゃお…

 ドアから出ようとすると、足が言うことを聞かない。しかも、靴を脱いでさらに奥へと上がってゆく。

 うわ、やばいって!待ってよ〜ぉ!

 家の中の壁も床も天井も全て虹色のグラデーションになっていた。春花、というより足は、向かって右の、玉虫色に光り輝くドアに近づいている。
 あ、悪趣味〜・・・

 手が勝手にドアを開け、中に入っていた。
 中は、真ん中の台以外に何も置いてない、ドアと同じ玉虫色の部屋だった。台も玉虫色で、部屋と一体になっているようだ。その上には、ピンク色の何かが置いてあり、それだけが変に目立っている。
 何かが視界の端をよぎる。はっと顔を向けると、それは自分の手だった。呆然としている春花の体を、ぐいぐいと引っ張っていく。数歩で台の前まで来た。
近くで見ると、それは桃色のハートの缶ケースだった。フラミンゴのように鮮やかなピンクは、窓ひとつ無い部屋の玉虫色の壁紙からの光を受けて、煌々と、まるで誘うように輝きを放っていた。  春花の手はそれをつかんでいた。
 大きさは手のひらにおさまるくらいで、ずしっと重かった。金属で出来ているようだ。
 金属特有のひんやりとした感触が手に伝わる。表面には傷一つ無い。

 綺麗な模様。

 つる草と、ハートに生えるように羽が彫ってあった。ハートは何かの宝石のようだ。春花はそれを台に置こうとしたが、手はそれを磁石のように吸い付けたまま、離さなかった。
   と、階段の方から足音がする。

 誰か来ちゃう…

 春花は仕方なくその手をそのままバックに入れ、急いで家から出た。驚くことに、出るときはすんなりと足も手も言うことを聞いた。




 春花は、息をつく暇もなしに極限のスピードで走る。そしてすぐに、見覚えのある公園に着いた。春花はブランコに座ると息を落ち着かせた。今もまだ手は缶を離さない。
 無理にでも引っぺがそうと、空いている手で引っ張った。傍から見れば、なんとも奇妙な光景だ。
 「うー・・このっ!離せー・・っつあっ!!」
 カパッと音がして、蓋が外れてしまった。手からも離れ、カランと音を立て地面に落ちる。
 ゴオォォォォォという音に驚いて目を向けると、上向きに空いた缶の口に枯れ葉や雑草が吸い込まれてゆく。
 「き、きゃあっ!!」
 春花も足を引きずられる。焦ってブランコの柱を掴むが、するりと手は離れ、音も無く吸い込まれてしまった。





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